あけましておめでとうございます。

前回の更新から7年ちかくも経過して、
もしかしたら「このブログの主は、死んだのでは?」と思われているかもしれません。

生きてます。
ただ、
子宮がん検診の3年後に、
今度は乳がん検診にもひっかかってしまい、
手術で腫瘍を取り出したり、
それも良性のものと診断されてほっとしたり、
ほかにもしこりが多数あるからと毎年定期検診を受けたりしてました。

子宮筋腫よりもそっちのほうが気がかりで・・・
筋腫手術後の定期検診は、
はっきり言ってブログ同様ほっぽらかしでした。
これはいけません。
健康にはほんとに気をつけて、
今年も元気に生きていきたいなと思います。
どうぞよろしくお願いします。

このブログもほんとに中途半端なところで終わっていますが、
続きを書く用意だけはしてあります。
申し訳ないです。
読んでいただき、
ありがとうございます。

手術翌日 その2。

手術後は、しばらく発熱があってぐったりでした。
痛みもありましたが、
看護師さんに「痛いんですけど…」と言うと、
首から下げてある麻酔薬をちゅーっと押してくれて、
背中のチューブがすーっと冷たい感じになって痛みも和らぎました。

初めての手術だったし、
お腹を切った、という恐怖感から、
何をするにもそろりそろり。

失敗したな~、と思ったのが、
術後最初の食事のときです。
この病院では、お箸は持参だったのですが、
ベッドから動けないというのに、
お箸を戸棚の引き出しの中に入れっぱなしでした!
動けるときは、椅子とテーブルで食べていたけど、
このときはベッドの上のテーブル。
テーブルの上には、
おかゆとクリーム状のなにかとミルミルを持って来てもらいましたが
・・・お箸、届かないよ。
スプーンもついていないし。
どうしよう。

結局、
ミルミルについていたストローでおかゆを食べました(- -;)
食欲も無かったし、そんなに食べられず。

あとで看護師さんに、
「お箸が戸棚だった? 言ってくれればよかったのに~」
とあきれられました(^^;)
なんか「お箸取ってほしい」なんて、恥ずかしくて言い出せなかったんです。

人生初の手術と入院生活、
ほんとにいろいろありました。
でも、
この病院の看護師さんたちはベテランの方が多くて、
ほんとに心強く、安心して過ごすことができました。

お久しぶりすぎる更新です。

続きを書き込もうと思いつつ、
なかなかログインもチェックもできずに何か月も過ぎてしまいました。
なんとも申し訳のない、
尻切れとんぼなブログです。

この間、
【子宮筋腫】について、思わぬところで話題に上り、
このブログをご紹介したこともあります。
読んでいただけたなら、参考になったなら幸いです。

そして、
私の健康面ではまたへんな細胞が見つかり、
精密検査、
治療、
という流れが発生。
【子宮筋腫】の治療から3年。
今回も、
初めて受けたがん検診での発見でした。
幸い、今回も最適な病院を選び、
良い先生に診ていただけたので、
心身ともにショックは少なくて済みました。

早期発見、早期治療、
も2回目となると、
「早く見つかって良かった・・・でも、私の身体どうなってるの?もう3回目はないよね?」
という、複雑な心持ちです。

病名が違うから、別のブログにするべきと思いますが、
同じ経験をして悩んでいる皆さんのために、
いつか、なんらかの形で紹介できたらと思います。

手術翌日 その1。

朝、こわごわおかなかにさわってみたら、
手術したのであたりまえですが、平らになっていました。

筋腫は無事取れたらしい。

でも、子宮は?

術後も付き添って病室に泊まってくれた母に聞こうかと思いましたが、
そそっかしい母に聞くのはなんだか怖く・・・
室温のことなど当たり障りのない話をして過ごしました。

父が母を迎えに来ました。
今日は母の上司の葬儀があるそうで、病室なのに喪服に着替えだす母・・・いいのかな。
しかも、磁気ネックレスが外せないというので、
病人の私が点滴していない片手を使って外してあげました。

父は意外にも笑顔で、
「手術のこと、話聞いたのか?」
と切り出してくれました。
「・・・まだ。どんなだったの?」
「俺は、まあ大きいと言ってもこぶしくらいだろう、と思っていたんだけど、
実物はこんな! かぼちゃくらいあったぞ」
「いや、もっと大きかったよ。このくらいはあった」と母も手で説明。
「二人とも実物見たの?!どんな色?白いじゃがいもみたいって聞くけど」
「いや、イモって感じじゃないな。肉、筋肉の色。肉屋にありそうだった」
・・・どんなだろうか(- -;)

「それで・・・結局、筋腫だけ取れたの?」
「ああ、筋腫だけ」
「先生が、説明を紙に書いてくれたっけよ」
手術室には、音楽がずっと流れていたというけれど、
私は麻酔が効く前しか覚えていません。
「出血が多くてたいへんだったけど、麻酔科医がよくやってくれたんだってさ」
手術は二時間くらいで予定通り終わり、
一時間くらいしてから自室に戻ったらしい。
小さいほうの筋腫は、
小さすぎるからそのまま残したということです。

両親が帰ってから、執刀にあたってくださった二人の先生の回診。
「なんとか取れたからね。なにしろ大きかったので、
520mlくらい出血したよ。実物はあとで写真で見せましょう」
「貧血に気をつけて。がんばってくださいね」
「ありがとうございます」
私の次にもすぐ手術があったというのに、
お2人とも笑顔で頼れる感じでした。
後光が射して見えるというか、名医に見えました。

その2へ続く。

目が覚める。

「ふみさん、お部屋に戻りますよ。終わりましたからね」

看護師さんの声が聞こえました。
時間を聞くと夕方らしい。
ストレッチャーに乗せられて、
エレベーターの継ぎ目の段差で、
何度ががたんがたん揺れたのがわかりました。

どうやら部屋に着いたらしい。
朦朧としていると、看護師さんが
「深呼吸しましょうね。できますか?」
・・・なんとか・・・吸う、吐く・・・うぇ
「・・・吐き気が」
容器に受けてもらい、二度ほど吐いてしまいました。
「あぁ、深呼吸したら、顔色が良くなったよ」
と母の声。
そのうちまた眠ってしまったらしいです。


真っ暗な病室。
何度も何度も、看護師さんたちが来てくれたのがわかりました。
血圧を計ったり、
足に血栓防止の機械を巻いたり、
熱を計ったり。
忙しく、てきぱきと働いているのがわかって安心して眠れました。
手術用ガウン1枚で寒いでしょう、
と、身体とガウンの間にタオルをはさんでくれました。

横で付き添ってくれている母が、
寒いからエアコンをつけていいかどうか、看護師さんに聞いている声がしました。

手術が終わって、特大筋腫とはおさらばできたその日。
朝まで眠り続けました。

ちょっと間が空いてしまいました。

3.11大震災、4.9大余震で被災された皆様に、
心よりお見舞い申し上げます。
お亡くなりになられた皆様のご冥福をお祈りいたします。

大震災後は五日間の停電。
私の住むすぐ近くでも大きな被害があり、
ブログの更新ができる心理状態ではありませんでした。
恩師、同級生、同級生のご家族が、
津波で尊い命を失いました・・・

震災はまだ終わっていません。
でも気持ちはいくらか落ち着いてきましたので、
このブログも続けて行きたいと思っております。

被災地への支援は、まだまだ長い期間必要です。
これまでのご支援に心から感謝いたしますとともに、
被災地で生きる皆さんのことも、
これからも心にとどめていただきますようお願いいたします。

手術当日 その2(手術室へ)

ここからは、術後3日すぎてから書いた日記です。
3日ほどは、痛みと発熱でなんにも書く気力なしでした・・・

13:00
看護師さんに「トイレに行ってくださいね」
と言われ、さっきも行ったけどあわててまた行く。
水色のガウン1枚だけ着て、ストレッチャーに乗りました。
母も付き添ってくれて、看護師さんが押すストレッチャーで病室出発。
エレベーターに乗って、降りて、また乗って降りるといよいよ「手術室」。
「お母さんは、右手の家族控え室へどうぞ」

ガラガラと、私は立派な手術室へと運ばれて行き、
帽子を被せられました。
「こんにちは。昨日お話したSです。お世話させていただきますね」
マスクと帽子で見分けにくかったけど、
昨日手術の手順を説明してくれた看護師さんに名前を確認され、
なんとなく気楽になりました。

担当看護師さんから、水色の手術衣をまとった皆さんに託される私。

いよいよ、
事前にブログなどで調べているとき「痛い」と書いてある方が多かった、
「背中に指す麻酔の管」を刺すんだなぁ(- -;)

麻酔科医の男の先生にあいさつされ、
若い女性スタッフが、右を向いて背を丸めた私の前面に来て支え、
声をかけてくれました。
う~ん、
この刺すのってどれほどまでに痛いのか?

でも、最初に痛み止め注射をしたためか、
「管」を背中に刺す痛みはなく、
何かにあたって進まなくなって、また進めている、
という感覚があるのみ。
その「管」を、テープか何かで背中に固定されてから仰向けに戻りました。

「では今度は、酸素マスクと注射の麻酔ですよ。ちょっとぴりぴりすると思います」
「あ、ほんとだ・・・左腕がなんか、ぴりぴりします」
ぴりぴり感が肘あたりから左肩の方へ登って来たなぁ、
というところで、
私の意識はすぱっと消えました。

手術当日 その1(午前中)

薬のおかげか、ぐっすり眠って4時頃に目が覚め、
トイレに行ってから二度寝。

親友から、「今日だね、がんばって」メールが届いていました。

6時に検温。36.4℃。
腰の痛みもよくなってきましたし、
左あごにニキビがあるほかは、まったく体調良し!
7時。
体重を測ったり、浣腸をしたり、
今日と明日使う用品(バスタオルとか腹帯とか)の確認をしてもらったり。
看護師さんたちがてきぱきしてて、頼りになります。

「良く眠れましたか?便はでましたか?
この水色のガウンを、素肌に直接着てくださいね。
パジャマのズボンは、まだ履いてていいですよ」

水色の手術室行きのばふっとしたガウンを着て、点滴につながれて、
いよいよ病人らしくなってきました。
ほんと、どこも痛くも苦しくもないけど、
私は病気でこれから手術していただくんだなぁ。


12時。
手術に立ち会う両親が来てくれました。
母だけ立ち会うのかと思っていたら、
父もいてくれるというので、ほっとしました。

「おなかを開いてみて、予定外のことになるかもしれない。
でも、
その時はその時だから。
しかたないよね」
と、両親に「万が一の全摘出」の覚悟はできていることを伝えました。
心なしか、沈む両親の表情。

やっぱり、
「やむをえず、子宮全部摘出に変更になりました」
と、目が覚めてから伝えらるのはきついだろうな・・・


(ここまでは、手術前にノートに書きとめておきましたが、
 この後は、手術の三日後以降に、記憶を辿りながら書きました)

ちなみに手術前は

私のおなかはこのくらい出っ張っていました。
17センチの筋腫と3センチの筋腫があった頃。
パジャマのズボンを出っ張りの下まで下げて、
病室で自分撮りしておきました。

体重は、
普段より2キロ前後しか変動なしでこのおなか。
よく考えたらへんです。
中年太りなんかじゃない。
仰向けに寝ても、ほぼこのまま。
これが脂肪だったら、
10キロくらい増でもおかしくないですね。



画像

入院して手術を待つ。

前の記事からだいぶ間が開いてしまいました。
書こうと思って、日記ノートを手元に持って来るのですが、
なかなか入力する気力がわかなくて・・・
でも、アクセスはどんどん増えているので、
私の記録を参考にしようとしている皆さんのためにも書かねば!


入院したその日は、
体調もいいし、
初めて食べる病院の食事もおいしくて、
持って来た本を読みたいだけ読んで、
リラックスして過ごしました。

お昼すぎに、婦人科の回診があります、と放送。
でも、ベッドでじーっと待っていたものの、
「ふみさん、この部屋に入ったのね」
と先生が確認されただけでした。
・・・これだけ?(^^;)

家族が仕事帰りに来てくれたので、
持って来てほしいものを伝えました。
迷惑かけてすみません。
夕方には、
この病院を勧めてくれた先輩がお見舞いに来てくれました。
「寒いかと思ってさ」
カーディガンを買って来ていただき、またまた申し訳ないです。
でも案外病室ってあったかいものです。
先輩が入院したときのこと、などお話できて、
ちょっと安心しました。
この病院では、携帯をベッドで使っても大丈夫だそう。

夕飯は18時。うちと同じ時間です。
ロールキャベツやごぼうサラダなど、残さず食べました。

持って来た本、早くも2冊読み終わりました。
何回か、看護師さんが回って来て、
ご飯はどのくらい食べました?とか聞かれます。
自分で体温などを記録する用紙が渡されていて、
朝・昼・晩、全部食べた、半分食べた、
排便は大が何回、小が何回、
と書き込んでおいて答えることになっています。

病院の夜は長い、と聞いていましたが、
いつもより3時間も早く21時に就寝。
もう朝かな、
と思って目覚めるとまだ22時。
夜中の1時半、4時半・・・と何度も携帯の時計を見てしまいました。
赤ちゃんの泣く声や、老人が呼ぶ声、看護師さんたちの足音など、
いろいろ聞こえては来ますが、
寝ることは寝られました。


翌日は6時に布団から出て、部屋で洗顔。
6時半に看護師さんが来て、
「寝られましたか?腰の痛みはどうですか?」
など聞かれました。
朝食前にまたべつの看護師さんがきて、
「今日はいろいろ準備がありますよ。よく寝られましたか?」
朝ご飯も、残さずいただきました。



この日は、ほんとに手術準備のための1日でした。
朝食後に、処置室で除毛。
仰向けでもかなりでっぱっているおなかを見て、
「がん検診を受けて、病気が見つかって良かったですねぇ」
と看護師さん。ほんとにそのとおりです。
その後は、入浴。
湯船につかって、シャンプーも念入りに。
手術のあとは、当分お風呂も洗髪もできないんだろうな・・・

手術場の看護師長さんから、病室で説明を受けました。
カラーの写真入りのプリントを見せられながら、
こんな部屋に行って、こんな風にしますよ、と丁寧に説明していただきました。
手術時間は1時間半くらいとのこと。
「手術室で、好きなCDをかけられますけど、どうしましょうか?」
おまかせで・・・だって麻酔が効いたら何も聞こえないし、準備してないです。
立ち会う家族には、お昼過ぎには来てもらうこと。

この日は、体温がやや高めでした。
「室温が高いから、換気もしましょうね」
と看護師さん。
14時に、下剤を二錠飲みました。
面会に来た両親に、明日のことを伝えました。
夕べは、うちの犬が私が不在なのを不安がって遠吠えをしていたそうです・・・
おやつに、アイスクリームと缶コーヒー。

15時に先生の回診がありました。
「いよいよ明日ですね。よく眠っておいてください」

18時からの夕食も残さず食べました。
あとは、21時以降食べられないので、手術前最後の食事です。

持って来た本、また1冊読破。
今夜は、よく眠れる薬を1錠飲んで寝ます。

手術二日前に入院。

入院した日は、親の誕生日でした。
親にとって、人生でワースト5に入るような日にしてしまって申し訳ないです。

休み明けのためか、
今日はかなり待合室が混んでいました。
おめでたではないのに、産婦人科に付き添って来なければならない親は、
どんなに居心地悪かったことでしょう・・・

しばらく待ってから、
親も一緒に診察室に呼ばれました。

先生は率直に、
「私は初めて診察したとき驚きましたよ、
こんなに子宮が大きくなっていたんですから」
と画像を示しながら切り出しました。
「かなり大きいこぶです。
もし切開してみて、
こぶだけ取ってもどうしようもない、という状態だったら、
子宮全摘出になりますが、
同意していただけますか?」

・・・どうしても、どうしようもない場合は、
仕方がないと思います。
どうか、そうなりませんように、
と祈るような気持ちで同意しました。

手術に立ち会うのも、父は最初拒みました。
きょうだいの癌手術に立ち会った経験からでしょうか。
仕方がないので、母が仕事を休んで立ち会うことに。
私としては、耳が遠くてそそっかしい母より、
冷静な父に先生の話を聞いて、
いざというときは全摘出に同意してほしいのですが。


診察室を出てから、
看護師さんの案内で入院病棟に行きました。
同じ日に入院される方も一緒です。
移動しながら、
個室か大部屋か訪ねられ、
二千いくらの差額だったら、
何回もベッドをひっこすよりはと思い、個室を選びました。

初めての入院です。
病室は思っていたより広く、古いけど明るい部屋でした。
どこも具合が悪くないのにパジャマに着替え、
二日後の手術に備えます。

準備完了。

体調はまったく快調で、
生理も予定どおり、よりも少し早く来て、
これなら手術日には確実に出血は終わっているでしょう。
いつもと違うのは、
二、三日前から腰が鈍く痛いこと。
腰痛など今までめったになかったのに。
筋腫のせいなのか、
入院・手術への緊張からか、
寝相が悪かったのか?

入院に必要なものは、すべて揃いました。
大きなかばん2つ、風呂敷包み1つ、小さい布バッグ1つ、
にまとめました。

離れて暮らしている兄弟も帰省して、
家族そろって過ごしました。
この兄弟たちのほうが病気になりそうな生活をしているので、
よくよく健康について考えるようにと話しておきました。

入院前日は早く寝ようと思っていたのですが、
いつもどおり、
24時すぎになってしまいました。
お風呂にはゆっくり入りました。
病院のお風呂がどんななのか知りませんが、
手術後は当分入れないでしょうし、
リラックスできるのは、
やっぱり自宅のお風呂です。
この、ぼこんとふくらんだお腹とも、
あと三日でお別れ・・・のはず。
平らになるのかなぁ。
でも、ぜい肉取るわけじゃないからね。
どんなふうに傷が残るのか。
痛いのはどのくらい続くのか。

お腹が平らに近くなることがちょっと楽しみだな、
と明るい方に考えながら、就寝。

手術前の検査。

前回からちょっと間隔があいてしまいましたが、
ノートに書いてある日記をもとに続けます。

入院の五日前。
手術するにあたって必要な事前検査のため、
12時で仕事を早退し、
昼食をとらないで病院へ行きました。

14時。
婦人科外来で受付して、まず尿検査のための採尿。
それから、血圧を測りながら体温も測る。
36度台の平熱でした。
採血では、今回はすぐに血管に針が刺さってくれました。
小さい試験管みたいなものに、五本分の血を採りました。
ずいぶんたくさん採るんですね! と言ったら、
「手術のとき、ふみさんのために必要なんですよ」
と看護師さん。

別の階にある検査室へ行って、
今度は心電図と肺機能検査です。
心電図はイメージしていたのと違い、
両手足首と胸に、何かはさんだり、くっつけたりして、
あまり時間がかからず終了。
肺機能検査の検査技師さんが、なんだか明るい楽しい方で、
オーバーアクションつきで説明してくれました。
「ハイ、では吸ってくださいね吸って吸って吸って~! はく~!!!」
思いきって吐く、というのと、
どこまでも吐く、というのをやりました。
口からだけ息を吸って吐く、
というのは案外むずかしいものですね。思いきって吸い込めません。
鼻をクリップでつまんで、
鼻からは息が吸えないようにされました。

それから、向かいの部屋でレントゲン撮影。
胸部と腹部を撮影しました。

これで全部終了!

婦人科外来に戻り、
看護師さんから入院に必要な物品は揃えられたかの確認を受けました。
簡易腹帯について、このとき買ったものを見せて、
これはちょっと違いますね、
伸縮性のあるもののほうが、傷口をぐっと引き締められます、
伸縮性のある腹帯は売店にありますよ、とのことだったので、
帰りに売店でひとつ買いました。

15時30分くらいに全て終了です。
今日の会計は、210円でした。

空腹も限界を過ぎて、あまり感じないほどになっていましたが、
駅の近くで焼きたてパンとコーラを買って、
遅いお昼を食べました。

入院準備って、物入りですね。

簡易腹帯は、結局、病院の売店でひとつ購入。
2415円でした。
売店で、「かんいはらおび、ください」と言ったら、
「えっ?」
「かんいはらおび・・・婦人科の手術後に必要なんだそうで」
「・・・あっ、ふくたい!ですね。こちらです」
恥ずかし~

なるべく出費はおさえたいので、
病院の売店は高そうだな、ほかも探そう、とまた腹帯探し。
ドラッグストアにありそうなものだ、と各店探して、
ダルマ薬局で発見しました。
介護用品や妊産婦用品の場所ではなく、
絆創膏や包帯やサポーター売り場にありました・・・なぁんだ!
こちらは1880円。
売店で買ったものとほぼ同じで、
キルティングにマジックテープとゴムがついて伸縮性のあるものでした。
こちらを先に見つけていれば、と貧乏性の私は悔やみました。

大判のバスタオルも4枚ほど用意しなければなりませんが、
家にはそんなにありません。
これは、母が買ってきてくれました。
ありがたや。

前開きの肌着は、入院中しか着ないと思い、
安いどうでもいいものを探して2枚購入。
1080円(ジャスコ)と680円(しまむら)でした。
これは、かぶるタイプの肌着でもいいですよ、
と説明を受けてはいましたが、
手術後に看護師さんに着替えをしてもらうとき、
買っておいてよかったと思いました。

ほかに、
洗面器、歯磨き用コップ、スリッパ、洗濯物干し、
などを100円ショップで買いました。
今は、100円ショップという便利な店があっていいですね。


これでだいたい必要なものは揃いました。
iPodが故障していて、
入院中は音楽が聴けないのが残念です。
父がラジオを貸してくれましたが。

入院はまったく初めてです。
以前父が入院したとき、毎日暇で暇で、
ご飯ばかり早く食べさせられてあとは寝るばかりだ、
と愚痴を言っていたので、
私は時間を有効に使おうと思います。
手術後いくらか元気になれば、
読みたかった本をまとめて読めるし、
仕事の勉強もできるでしょう。
体力がどのくらい落ちるのか、
握力が落ちると仕事でも趣味でも困ると思い、
100円ショップでは柔らかいボールも買っておきました。

すこしずつ、入院の準備開始。

極秘にしたい、と思いながらも、
入院と手術の日程を伝えなければならない人々に伝え、
また今は、世のため人のためとこのブログを書いています。

職場の勤務や給与を担当する上司は、
とても信頼のおける方で、もちろん早めに日程を伝えました。
日頃からたくさん心配事や仕事をかかえ、大変そうなのに、
私のような非正規雇用の病気入院のことでも迷惑をおかけして、
とても申し訳ない気持ちでした。
上司曰く、
非正規雇用でも特別休暇や有給などを使って、
なんとか退職はしなくても大丈夫、とのこと。
ほっとしました。
病名を公表しないでほしい、という希望についても、
細心のご配慮をいただきました。ありがとうございます。

あとは、ボランティアで教えている子どもたちのこと。
入院と手術のことを病名抜きで話し、
私の心配はしないで、自分達でがんばること、と約束。
代理の信頼できる先生もお願いしました。

理事をしているサークルの会長ご夫妻にも、
しばらく行けないことをお話しました。

あとは、
高校時代からのきょうだい同然の親友たち。
彼女たちには、どんなことでも打ち明けられます。
いきなり入院するというメールでびっくりさせてしまいましたが、
心強い応援の返信をもらい、励みになりました。

運営しているサイトの管理も、彼女たちのうちの一人にお願い。

まさか、病院へパソコンを持ち込んでネットはできない、
と思います。
きっと、退院してメールチェックしたら、
迷惑メールが何百通もどっと来ているんでしょうね。

それから、買い物。
用意するように言われた物品を、
少しずつ探して買い求めました。
「T字帯」、出産したことがないから初めて買いました。

いちばん分からなかったのが「簡易腹帯」です。
「かんいはらおび」と読むものと疑わなかったのですが、
「かんいふくたい」でした・・・
「T字帯」がある売り場に、それらしきものはなく、
妊婦さん用の腹帯はあるし、
「さらし10mでも可」とあってそれはあるのですが。
さんざん探して、西松屋でやっと
「術後腹帯」という商品を発見。購入。
でも、これは病院が用意してほしかった「簡易腹帯」とは、
ちょっとちがうものだった、
とあとで判明します。

思っていたより混み混み。

再び婦人科外来へ行って、
「家族、職場とも相談した結果、【筋腫だけ】を取る手術をお願いしたいです」
と先生にお話しました。
「【筋腫だけ】、ですね?」
と念を押す先生。
はい、子宮は残してください。
あらためて、
巨大な筋腫がどこまで子宮にくいこんでいるかは分からない、
筋腫を切り取ってそこを寄せて縫うけど、
その後子宮が正常に機能するかは分からないですよ、
と、図に描いて説明されました。
それはもう、
手術してみないとわからないなら仕方ないです。
「よし、わかりました。では、手術はいつがいいかな」
今月中でも! できるだけ早くお願いしたいです。

ところが、
診察室のカレンダーは、すでにほかの患者さんの手術予定でぎっしり。
こんなに混み混みなんだ!
もう、来週でもいいと思っていた私はびっくりしました。
婦人科の手術って、
こんなに日常的に行われているんですね。

結局、
来月末の3月25日が一番早いとのことでその日にしました。

その一週間前には、手術前の検査があるので、
お昼を食べないで、午後に外来に来ること。
入院は、手術日の前々日。
入院に必要な用品について、看護師さんから、
入院する前に用意する書類や費用の支払いについて、会計の方から、
それぞれ説明を受けました。

あ、そうだ。
「先生、手術の日に生理の日がかぶったらいけませんか?」
「できればかぶらないほうがいいね。重なりそうなの?」
「いいえ。ちょうどぎりぎり終わったころかと・・・予定では」
「じゃあ、いいじゃないの」
でも先生、
予定は未定で。
もしかしたら、
手術するぞ、という緊張感からいつもより遅れたりもするかな・・・
ちょっと心配でしたが、
これもその時になってみないとわかりませんね。

思っていたより、早く済みました。

この日の会計は、180円でした。

田舎のこわさ。

さて、職場にはいつ、なんて言ったらいいでしょう。

具合が悪いわけではないし、
先生には二週間くらいしたらまたおいで、と言われていたので、
まずは職場の一大イベントが終わるまでは黙っていることにしました。

おなかの山は、働いているときも気になります。
トイレに行きたい、という気持ちになるのが遅く、
行ったら限界ぎりぎりだった、ということが多いので、
尿意がなくてもトイレにこまめに行くようにしました。

準備に何か月もかけたイベントが無事に終わると、
上司が外でひとり作業をしているところをチャンスとみて、
自分の身に起こっていることを正直に話しました。
男性の上司なので、話しにくいと思っていたのですが、
なんとか開き直ってお話できました。

上司は、突然のことに驚いていましたが、
「将来や健康に関わることだから、手術するなら早い方がいい」
と、仕事を休むことにも理解を示してくださいました。

家族以外に話すことは、できることなら避けたかったです。
私の住む地域は、誰から見ても田舎。
田舎ならではのいやなこと、が予想されるからです。

個人情報、プライバシーを話の種にされること。
勝手に憶測したり、その結果噂がひとり歩きしたり、
とくに病気の話は皆さん大好きであっという間に広まります。
事実、
「あんたとこのおばあさん、あぶないんだって?」
元気な祖母を、いつのまにか危篤の病人にされた経験もあります。
「○さん、×□かもしれないね」(ただの憶測)
「○さん、×□らしいですよ」(憶測の伝聞による確定)
「へぇ、○さんは×□なんだ!知らなかったなぁ」(事実と誤認)
・・・ほんとに迷惑なことです。

思うに、
【子宮筋腫】で入院して手術します、と職場で公表したとしたら、
伝言ゲームが即始まって、
私が退院するころには、
ふみさんは子宮がんで手術したけど余命○か月らしいよ、
子どもが産めないんだってよ、
というレベルに誇張されてしまう・・・
しかも、地域全域に広まってしまうでしょう。

そんなの御免被ります。
上司には、
「病気の名前や入院のことは、公表しないでほしいのですが。
話に尾ひれがついて広まると、とても困るからです」
と、はっきりお願いしました。
上司も理解してくれて、
「内臓に病気が見つかったから、治療のために休む」
という程度にとどめてもらうことで・・・ひとまずお願いできました。

人手不足に輪をかけるうえに、
こんなお願いをして申し訳ありません。
でも、できるかぎりひっそりと治療して、
なんでもない顔で戻ってきたいのです。
復帰したら、ご迷惑をかけたぶんまでばりばり働きますから!

メモして良かった!

「あんた、よく先生の説明をメモして来たねぇ」
と母。
勧めてくれたのは、病院選びのアドバイスもくれた親友のYです。
もし、先生に遠慮してメモして来なかったら、
細かい説明を両親にそのまま伝えることはできなかったでしょう。
その場でメモしてきたことばなら、
と両親も納得して聞いてくれたようです。
「Yちゃん、さすが病院に勤めてる人だね!ありがたいね」
ほんとにほんと、心からありがとう。

セカンドオピニオン、
ということも、頭の片隅において結果を聞きに行ったので、
その点でもメモは役に立っていたでしょう。
子宮全摘出しかないですよ、
と言われたら、
別の病院にも意見を聞きたいと思っていたのです。
大学病院のサイトも見て、
ここはセカンドオピニオン受けるって書いてあるな、
もしもの時はここかここに聞きに行こう、と考えていました。
結果的に、
全摘出ではなく、腫瘍だけ取る方向で説明されたので、
遠い知らない病院にセカンドオピニオンに行くことはなくなりました。

手術はこわいけど。

帰り道は、凍結路が融けてぐしゃぐしゃでしたが、
はっきりなんの病気なのか判ったことで、
気持ちはやや明るくなりました。
午後は仕事に出て、
帰宅後、両親にメモしたノートを見せながら説明しました。

説明しているときに初めて、
親の姉も【子宮筋腫】だったことを知りました。
「たまたま受け継いだ体質なのだから、誰も悪くないんですよ」
という、先生のことばを思い出しました。

手術してもしなくても、
今後自然な妊娠や分娩がしにくくなる、
という話は、
両親にとって酷な話だったと思います。
うちには、まだ孫がいません。
私たちきょうだいの様子に焦っているであろうときに、
さらに追い打ちをかけるようで。
心配しすぎる両親に心配をかけたくはありませんでしたが、
誤魔化すことはできないのでそのまま話すしかありません。

「手術も入院もしたことないけど、するほうがいいかな」
おなかを切られるのは、やっぱりこわいもの。
「なに、手術で切ったとこなど、すぐにくっつくのだ!」
めずらしく父が強気なことを言ってくれました。
最近大叔父が大腸の手術をしたけど、10日で退院したそうです。
そういえば、
祖母も80を過ぎてから、手術を2回だかやったっけ。
高齢の祖母が平気だったのに、
30代の健康な私が平気じゃないってことはないよね?

「Mさんが、病室が古くて、退院までが長いって言ってたけど」
Mさんは、病院をどこにするか相談した先輩で、
親もよく知っている方です。
「いいんだ、病室なんて古くても。
いい先生がいるなら、そこで手術してもらうのが安心だ」
「万が一悪性に変化したら大変だよ。早めにお願いしたら」
両親の言葉はもっともだったので、
私も人生初入院・初手術の決意が固まりました。
「いろいろ迷惑かけると思うけど、すみません」
「なに言ってんの」
「職場のほうにも早めに言って、いつ休むのがいいか決めなきゃ」

職場・・・これまた難問です。

私は正規じゃないので、たぶん病気休暇とかないでしょう。
有給だってそんなにないし。
もしかしたら、一度退職しなければならないかもしれません。
もうすぐ一大イベントがあるので、大忙しだというのに。
もともと少人数の職場、迷惑もかなりかかると思われます。
非正規雇用の身分は、こういうときとても心細いです。

結果を聞きに行く (3)

初めて受けた子宮がん検診で、
心配していた子宮がんではなく特大サイズの【子宮筋腫】が見つかり、
呆然としている私に、
先生はこれからどうするか、の話をしました。
「あなた、子どもはほしいですか?」と先生。
「はい。そういう機会があれば」・・・予定はまったくないのですが。

(1)筋腫のこぶだけ、を切除する手術をする。
手術は難しくはないが、子宮に傷がつくし、縫ったりもするので、
こぶを取って残した子宮が正常に働くかは不明。
仕事も2~3週間休まなければならない。

(2)手術はしないで、経過をみる。
いま、とくに症状がみられないので、
このまま様子をみるという方法もあるが、
筋腫はこれから先も大きくなる。おなかも目立ってくる。
自然に妊娠や出産ができるかどうか。流産の可能性もある。

どっちにしても、リスクがあるわけですね。

「筋腫がこんなに大きく、しかも変性していることから、
(1)の手術を早めにすることをすすめます。
こぶがもっと大きくなると、切開の幅も大きくならざるを得ない。
あなたはまだ若いからね、
子宮を全部取っちゃうわけにはいかない。
子宮の壁にどのくらいくい込んでいるかもわからないし、
むずかしい選択だけど、
あなたが私の娘なら、こういう場合手術をすすめるでしょう」

・・・なんでこんなこぶができちゃったのでしょう。
「原因は、わからないんですよ。体質ではあるんでしょう。
筋腫ができやすい体質を、お母さんやそのまたお母さんから、
たまたま受け継いだのだから、
誰も悪くないんですよ」

家族と職場とよく相談して、どうするか決めて、
二週間後にまた来てください、と言われ、
「子宮筋腫とは」というプリントをいただいて本日は終了。

会計は、180円。
重い内容だったのに、これだけでいいの?

病院の外に出て、すぐに親に電話をしました。
「がんじゃないって。
【子宮筋腫】っていう、良性の腫瘍だった」
電話の向こうで、父がほっとしたのがわかりました。

結果を聞きに行く (2)

メモの準備ができたところで、
先生はMRIで撮った画像をもとに丁寧に説明してくださいました。

病名は、【子宮筋腫】。

15センチの変性した筋腫と、
他にも数センチの筋腫があります。
(ここで焦っていた私は、数センチ、とメモしたつもりが、何センチ、
と書いてしまい、先生に、字が違うよ、と指摘される・・・)

「じゅうごせんち?!」
事前にいろいろ検索し、筋腫についてのブログやサイトを見ておいたのですが、
10センチくらいで「大きな筋腫が・・・」と書いてあったような。
見せていただいたMRI画像でも、
黒い影のような部分が、異様に広く写っていました。
おへそより上のほうまで広がっています。

「それって、子宮よりもこぶのほうが大きいってことでしょうか?」
「大きい大きい。だって、子宮はふつうニワトリの卵くらいだよ。
あなたの筋腫は、かなりの大きさです。
そこに『小児頭大のこぶ』と書いておいて」
子どもの頭くらいも?! ひゃ~

「・・・変性って、悪性ということでしょうか?」
「悪性じゃありません。字のとおり、性質が変化している。
もう、そうとう時間がかかって変性して、大きくなったんだろうけど、
これから一年、二年たつともっと変性していく可能性があります」

ごくまれに、筋腫ではなく、悪性のもの【子宮肉腫】もあるとのこと。

もちろん良性であっても、
15センチとなると、
今後の妊娠や分娩にも影響する大きさだそうです。
妊娠する前から、子どもの頭くらいのこぶがついていたのでは、
さらに子宮の中で3キロくらいにまで成長する胎児への悪影響、
母体への負担、想像に難くないです。


【子宮筋腫】という病気。
良性の腫瘍でありながら、
これでは人生への影響が相当あるじゃないですか。
それが、
30代女性の三割のおなかの中に潜んでいるなんて。
もっと世間に、とくに女性たちに、
知られていなければならないのではないのでしょうか。

知らなかったの、
私だけじゃないですよね?

結果を聞きに行く (1)

精密検査の結果を聞きに行く日。
この日は道路状況がひどく、凍結してつるつるのてかてか。
結果にどきどきするよりも、
病院に着くまでの運転にまず緊張を強いられました。

受付するつもりの時間よりも一時間超過してしまいました。
今日は、
道路状況もあってか待合室があまり混んでいません。
待っているあいだ、
悪性ですと言われたらどうしよう、
子宮全摘出しかないと言われたらどうしよう、
と、悪い結果ばかりが頭に浮かび、
身体が固くなってしまいました。

いよいよ名前を呼ばれました。

中待合室に入ると、
ほかに患者さんなし。
いつもなら3人くらい椅子で待っているのに。

(まさか、人払い?! 聞かれたらまずいほどの悪い結果なの?)
青ざめる間もなく、
中待合室から診察室へすぐ呼ばれました。

先生は、前回とおなじ先生でした。
「精密検査の結果ですね。いいですか?
まあ、対がん協会の紹介状も、
もっとくわしく書いてくれればいいのにねぇ」
説明をはじめようとする先生に、
「すみません、メモをとってもいいでしょうか」
と確認をしました。
この病院をすすめてくれた友人からのアドバイスです。
友人も、ノートに先生に言われたことや、
自分で調べたことなどをメモして、
後々のためにとっておくそうです。
「メモ?どうぞどうぞ、お書きなさい」
では、ちょっと失礼してバッグからノートとボールペンを・・・

このメモノートが、以後とても役に立ちました。
両親に病気の説明をする時も、
先生に言われたことをそのまま伝えることができましたし、
のちに治療日記として2冊も書き続けることになってしまいました。

家族にいつ言おう?

精密検査が終わって、一週間ちょっとのあいだ、
両親にいつ話したらいいか、
私はあれこれ考えていました。

私も心配性ですが、
両親そろって心配しいです。

早めに言った方がいいか。
結果を先生から聞いてから言った方がいいか。

結果を聞いてから、は、
もしも子宮体がん(子宮頸がんは異常なしでしたが、もひとつの子宮のがん)
だったら、ショックが大きすぎるし、
早めに言ったら、
やきもきする期間が長くなって、親のほうが具合がわるくなりそうです。

さらに、あやしげな健康食品や健康法に弱いうちの母。
私が病気かもしれないと知ったら、
またわけのわからない健康食品を・・・困ります。

毎晩、
父とふたりでいる時間に話すタイミングを見計らっていたのですが、
ついに話せず、
精密検査結果を聞きにいく日の前の夜になってしまいました。

今日話そう。
結果がたいしたことなければ、
心配する期間が一番短くて済む。

「あんた、明日休み? なにか予定あるの?」
両親と茶の間でくつろいでいるとき、うまいこと母が聞いてくれました。
「休みじゃないけど、午前中休みをもらったから病院にいく」
「眼科?」
いや、いつもコンタクトを買いにいく眼科じゃなくてね。

「心配すると思って黙っていたけど、
12月に、子宮がん検診を受けにいったらひっかかって、
精密検査を受けなさい、って通知がきたの。
で、先週精密検査を受けて、
明日、その結果を聞きにいかなくちゃならないんだよ」

さーっ、と両親の顔から余裕が消え、
血の気が引いたように見えました。

とくに父は、兄弟にがん経験者がいるので、
極度にその病気を怖れ、
テレビでその話題がでるとチャンネルをかえますし、
自分の検診のときは、問診票に
「家族にがんだった人はいますか?→いない」
と、うそを記入するほど。
まさか自分ではなく、子どもにその疑いがあると聞かされるなんて。
ショックは大きかったようです。

「でも、がんじゃなく子宮筋腫かもしれないんだって。
子宮筋腫は、良性の病気で、がんじゃないんだよ。
体調はぜんっぜん悪くないし、
全力で犬と走っても息切れしないし、
体重も減ってないし、食欲もあるよ!」
「・・・そうか。じゃ、きっと大丈夫なんだ」

両親は重苦しい空気をしょったまま、
寝室へと引き上げて行きました。

ふ~。
やっと話せた。
きょうだいの中で私が一番健康なはずだったのに、
ごめんね。

体調はほんとに、今まで生きてきたなかで一番というほど良好です。
生理痛もなく、
毎月決まった頃に来て、六日くらいで終わるし、
気分が落ち込むこともイライラすることもない。
夜もぐっすり寝られるし、
朝はすっきり起きられる。

きっとがんだったとしても、筋腫だったとしても、
程度の軽いものに違いない。

ただ、
「自分がどんな病名だったとしても、告知してほしいですか?」
のアンケートは気になりましたけど。

今思えば・・・

いろいろと、「あれれ、なんだろ?」と思うことは予兆としてあったのです。
でも、病気らしい症状はまったくありませんでした。
おなかが出てきて、
こりゃ中年太りかな、宿便かな、
薬のCMで見た、ガスがたまって腹が張るっていうのは、こんなのかな、
などと、理由を自分なりに考えてはいましたが・・・

【子宮筋腫】という病気を一度も疑わなかったのは、
【子宮筋腫】があまり認知されていない病気だからではないでしょうか。
例えば【乳がん】は、有名人の病気公表や、ピンクリボンキャンペーンで、
広く世間一般に認知され、
また命に関わるから早期発見や自己検診も大事!、と啓発活動も盛んです。
でも、【子宮筋腫】は、
命には関わらない病気、婦人科の病気で、
場所が場所だけに、
「あたし【子宮筋腫】でさぁ」と自分からすすんで話したくなる病気ではない。
また、自分に【子宮筋腫】があることに気が付いていない人も多い、
と本に書いてありました。
3割の女性が持っていると言われながら、
いままで、親しい仲間うちでも【子宮筋腫】の話題になったことさえないです。

だから、
予兆があってもまったく病気と結び付けて考えられませんでした。

《今思えば・1》
うつ伏せに寝たとき、おなかの中のへそ下あたりに硬いなにかがあった。
そのため、腰が伸ばせない。平らにうつ伏せになれない。

《今思えば・2》
お風呂でおなか回りのぜい肉をマッサージしているときの感触。
ぜい肉って、こんなに硬かったっけ?
下腹部あたりをぐっと押すと、
水まくらの中で大きな氷の塊が動くような、
なにか固形物が上に動くのがわかります。
同時に、奥の方の内臓がぐいと押されるような感じもします。
押すのをやめると、下に戻ってきます。

《今思えば・3》
生理前のおなかの張り出しが、初期の妊婦さんほどもある。
お風呂の鏡で横から見ると、自分のおなかながらびっくりするほどです。
私は子どもの頃から下っ腹が出ていて、
太り気味体型でしたが、
「ふんっ!」と気合いでひっこめようと思えばほぼひっこむおなかでした。
しかし、
今は、ひっこめようにもひっこみません。
ジーンズもベルトなしでもおなかにひっかかって落ちないし、
股上浅め・ウェストきつめのものは、
出っ張ったおなかに食い込んで苦しいので、生理期間ははけません。

《今思えば・4》
仰向けに寝ると、おなかの下の方、両手で覆うくらいの範囲が、
ぽこっと山になっていました。
それほどおなかが出てしまった。
にもかかわらず、体重は3キロも増えない。
この出っ張りぶりなら、10キロ増でも不思議はないのに。

《今思えば・5》
犬といっしょに砂浜を全力で走っていたら、
走る振動で少し尿もれが。
反対に、入院前のあたりは尿意が遠く、
いつまでもトイレに行かないまま働いていたりもしました。
筋腫に圧迫されていたのでしょうか。


不正出血、生理痛、過多月経、腰痛、貧血、
など、【子宮筋腫】特有の症状はなかったものの、
上のような体の変化はあったのです。今思えば。

でも、全般に「まずい、また太った?!」
「そろそろ重力に負けて、お肉が下に? これが中年太りかな」
と思えば思える症状。
雑誌広告でよく見る美容整形の脂肪吸引に目がいったり、
なんとかダイエットに目がいったりなど、
しなかったとはいえません。
あぶなかった・・・

初MRI。

なんだか大事になってきました。

看護師さんから、
お昼は食べないで、トイレは何時までに済ませ、1時15分までにここに戻ってきて、
閉所恐怖症ではないか、アレルギーはないか、
などなど説明を受け、時間をつぶして指定時間に婦人科外来へ戻ってきました。

「おなか減りましたよね、ごめんなさいね」
と担当の看護師さん。
三食食べないと心配になる私ですが、
今は空腹よりもMRIってどんななのか、のほうが気になります。
血圧を計ったり熱を測ったりして、熱が7度台でしたがまあ異常がなかったので、
いよいよMRIの検査室へ。

検査技師さんも、看護師さん同様親切で、丁寧に説明してくれました。
金具がついていない服なら、検査服の中に着てかまいません、
と言われたので、長そでの肌着と靴下は身に付けたまま、
渡されたぱふっとした検査ガウンみたいなのを着用。
髪に刺していたピンも、忘れずに外しました。
着替えた小部屋にも小さいヒーター。
脱いだものと荷物を置いたまま、鍵を締めてもらいました。

「MRIは大きな磁石で、この中に入っていただいて身体の断面を撮影しますが、
撮影中は絶対に動かないでください。
足を組み替えるのも、しないでください。
かといって、息をとめろというわけじゃありませんので、
お気を楽に。
ガンガンと大きなうるさい音がします。故障ではないので心配ないですよ。
何かあったらこれを押してください」
と、渡された大きなブザーのスイッチ。
腰の部分を固定されて、
「おなかの撮影ですから、腕がおなかの上にならないよう、
こんな感じでおねがいします」
エジプトのなんかみたいに、腕を胸の前でクロス。

いよいよ白いかまくらみたいな機械のなかへ・・・
機械の中では、
室内でかかっていたクラシック音楽がまったく聞こえなくなる「ガンガン」音。
と、いったんまたウイーンと外へ出てきました。

「おなかの撮影位置がずれてましたので、ちょっと移動させてください」
技師さん、私の胴体を引っ張ってちょっと下にずらして再度固定。
また、穴の中へウイーン。

今度はいいらしい。
動いちゃいけないんだ、と身体をこわばらせていると、
緊張のため眠ることもなかったです。
何十分たったか忘れましたが、いったん外にウィーン。
今度は、左腕に造影剤を注射して、
血管がどう走っているかわかるように撮影するのだそうです。

私の腕は血管が見えにくく、しかも血管が逃げるので、
注射する看護師さんはちょっとたいへんそうでした。

ふたたびガンガン音の中で、ぴくりとも動くまいと呼吸にも気を遣うこと数十分。
二回あわせて一時間くらいたっていたでしょうか。ようやく終了。
あー、緊張した!
機械から解放され、
「おなか減りましたよね、ごめんなさいね」
と、技師さんにも言われました。
たしかに、もう3時過ぎておなかはぺこぺこです。
着替えて荷物持って、婦人科外来へ。

血圧を再度測り、しばらく休んでから会計。
MRIの画像診断料が予想外の高額で焦りましたが、
多めにお金を持っていってよかった。

今日の診療費合計・・・36190円。
国保三割負担なので、
今回支払った金額は10860円でした。


病院を出たら、はーっと力が抜けまして、おなかもぺこぺこに減りまして、
おそいお昼に焼きたてパンを買って食べました。
帰宅は4時半すぎ。
午前中で終わるだろう、と思っていった精密検査は、
まる一日かかったのでした。

精密検査を受けにいく。

「あのぅ、こちら初めてなんですけど、
子宮がんの集団検診で要精密検査と言われ、
こちらで受けたいのですが・・・」
まずは、保険証を提示して診察券を作ってもらい、
婦人科のどんな症状か、アレルギーはありますか、
などのかんたんな問診票、
あと、
「あなたは自分がどんな病名であっても、告知を希望しますか?
 家族に代理で聞いてほしいですか?」
という、けっこう深刻なアンケート書類にも記入しサインしました。

私は、病名を本人に告知してほしい、と希望。
だって、私の身体だし、私の人生だし、
親には子宮がん検診を受けたことも、精密検査を受けに来たことも、
まだ話していないから。


10時ころに受付、予想していたよりも混んでいなくて、
1時間も待たずに呼ばれました。
婦人科の担当医師は男女二人いて、曜日ごとに先生が交互に入れ替わる、
と友だちから聞いていました。
中待合室に入ると、桃色のカーテンの向こうから、
怖そうな男性医師の声が。
でも、実際に呼ばれて診察室に入ってみると、
声より姿は優しげな先生でした。父と同じくらいの年代?

緊張しながら今日来た訳をお話しすると、
持ってきた検診の結果通知と紹介状に目を通し、
「市の集団検診ですか。どっかにバスが来て中で見てもらうやつね?
じゃあ見ますから、おしっこして来て、6番の前へどうぞ」

ああ、やっぱり内診のいすに座らないとだめなんですよね。
内診は、婦人科では「内科で聴診器をあてるのとおなじ」ことだそうですが、
まだまだ勇気がいります・・・
バスタオルが脱衣かごに置いてあったので、
気休めにおなかの上に置きました。

カーテンの向こうなので見えませんが、
診察したりエコーで見たりしている気配。
力を抜きなさいと言われましても、痛いし緊張するし、
検査していただいてるのにすみません。

診察室に戻ると、
なんだか先生の表情が最初とちがって深刻そう。
「今回、子宮がん検診を受けたのはじめてですか?」
はい、がんがなんとなく心配で。無料クーポンも来ましたし。
「35歳の年齢で届くのね。このおなかの出たのはいつ?」
うーん、去年の夏より前だったかと・・・水着を来るのが恥ずかしかった記憶が。
「生理は出血が多い?腹痛や腰痛は?」
出血は20代のころよりだいぶ少ないです。痛みはまったくありません。
「貧血でくらくらしたりは?」
貧血検査したこともないですが、くらくらもしません。
私の指の爪と、目の下瞼の赤さを見る先生。
「結婚したことは?」
ないです。
「一度も?」
はい。一度も。


しばし、考え込むような沈黙のあと、
「ふみさん、今日写真を撮っていってほしいなあ。朝食たべたのいつですか」
8時ころです。午後はあいてますが、写真とは・・・?
「MRIで、造影剤も使って身体の中を写真に撮って、詳しく調べたいのよ。
今見たら、あなたの子宮はかなり大きくなっています。
まだ若いし、子宮を切って赤ちゃんが産めなくなる、
というのは避けたい。
来週来る先生にも画像を見せて意見を聞きたいから、
結果はその日より後に聞きにきてください」
先生は、
「あなたは自分がどんな病名であっても、告知を希望しますか?」
のアンケート用紙の確認医師名の欄にサインをされ、
私にその写しをくれました。
このアンケート用紙には、
「がんなどの余命が短い場合には、
告知してほしいですか?聞かせないでほしいですか?」
という事項もあって、
私はこれも「告知してほしい」に印をつけました。


私の次に、妊娠確認に来たらしき若い女性が入っていき、
エコーで画像や心音を聞いておめでたを喜んでいる様子でした。
産婦人科では、
妊娠の喜びと病の苦痛が隣りあっていることを実感。
でも、
思っていたほど、この隣り合わせは苦しくありませんでした。
逆に、
私の「産めなくなるかも」という診察結果が、
「旦那に見せてあげなさい」とエコー写真をもらって喜んでいた彼女に聞こえていることが、
気の毒ではありました。
なるべく動揺してないような顔を作って、彼女の前を通過し、
廊下へ出ました。

持つべきものは友。

未知の領域、精密検査を受ける婦人科の病院をどこにするか。

まず頭に浮かんだのは、
よく看板や広告をみかける、新しいK病院。
知り合いが出産したと聞くし、女性の医師もいるとか。

それから、
自分が産まれた産婦人科、S病院。
でも、知り合いが入院したときの看護師さんたちの振る舞いが頼りなかったな。

無難なところで県立病院かな。
検索したら、産婦人科があるし、
子宮筋腫手術実績も古いけど掲載してありました。

うーん、どこにしよう。

あれこれ悩んだ末、
婦人科に通っているようなことをちょっと話していた友だちと、
出産経験のある先輩に、
事実をありのまま説明して相談しました。
ふたりとも、長年のつきあいのある、姉同然の信頼できる存在なので、
相談しにくいことも思いきって話せたのです。

ばらばらに聞いてみたにも関わらず、
ふたりとも同じ病院を勧めてくれました。
一度もお世話になったことのない総合病院、I病院。
施設は古いけど、入院期間が長めだけど、
ちゃんと話を聞いてくれるいい先生がいる、女性医師もいる、看護師さんもベテランぞろい。
なるほど~

おまけに、
K病院は先生が患者の話をちゃんと聞かない、誤診に近いことをされた!
県立病院は施設は立派、手術後早く退院させることが多い、
と、よその病院のことも教えてくれました。
なるほどなるほど~

迷わずI病院に決めました。
実際行った患者の立場、なまの声がいちばん信頼できますね。
持つべきものは友だなあ。

念のため、精密検査なんですけど予約が必要ですか?
と、電話をしてみました。
私は電話が苦手・・・
でも、応対はとても丁寧、わかりやすく説明してくれました。
「とくに予約は必要ありません。11時までに受付をしてください。
土曜日の診察もありますが、土曜日は混みます。検診の通知もお持ちください」
わかりやすい説明、ありがとうございます。
では、近々うかがいます。

一か月後、検診の結果が届く。

12月10日の子宮がん集団検診の結果が、
1月8日に届きました。
ぶ厚い封筒を郵便受けから取り出したのは父親で、
不安そうな顔で私のもとへ持ってきました。

「子宮がん検診」と書いた封筒が娘に届いたら、
不安にもなるでしょう。
心配性の両親には、
当然がん検診を受けたことは話していませんでした。

家族が寝静まってひとりきりになってから、
おそるおそる封を切ると・・・

【子宮頸がん】→異常なし
ほっ。良かった~
でも、所見の欄には、
「腫瘍の疑いあり。要精密検査」
紹介状の封筒も一緒に入っていました。
自分で病院を決めて、この紹介状をもって一か月以内に精密検査を受けなさい、
受けない場合は、確認のお電話をさしあげますよ、と書いてあります。

この【腫瘍】っていうのが、先生が言っていた【子宮筋腫】?

通知が来る前に、自分でも本を読んだり、
ネットで検索して体験談や治療方法を読んだり、
一応予備知識程度の準備はOK。
良性で命には関わらない病気、
というのが心に余裕を持たせてくれて、
通知を読んでも思っていたより顔面蒼白感はありませんでした。

さて、病院をどこにしたらいいか・・・
近隣の町の知らない病院に行こうかな。
知り合いには会いたくないし。
でも、知らない町の病院は、
評判がいいか悪いかも判らない。
ネットの口コミ情報なんかも、両論があってあまり参考にならないし。

どうしよう。

五か月のはじまりは、1枚の子宮がん検診無料クーポン。

去年の春だったか、夏だったか、
自治体からA5くらいの明るい色の封筒が届きました。
中身は、
子宮がん検診を受けましょうというパンフレットと、
無料クーポン券。
自治体が子宮がん検診の受診率向上のために、
ある年齢に達した女性の受診費用を負担しますよ、
というものでした。

私は、
若い頃から「自分もがんになるんじゃないか」という
漠然とした恐れを抱いていました。
近い親族に乳がんと膵臓がんに罹った人がいて、
膵臓がんの方は20歳の若さで亡くなっていたからです。

だから、
勇気は要るけどこういう機会は活かさなきゃ。
がんは早期発見が大事と聞くし、
無料なら思いきって、ありがたく受けに行こうじゃないの。

・・・検診の日に生理じゃなかったらね。

パンフレットには、生理日でも受けられますと書いてありましたが、
女性の一番見られたくない場所を見てもらううえに、
一番見られたくない状態の日だったら、
やっぱりいやです。
女性の上司にも、時間休みがもらえるか話をしたときも、
「体調が悪かったら受けに行きませんので」

12月10日。
生理は予定どおりあと数日後・・・でしたので、
時間休みをもらって検診会場へ行きました。
(知ってる人には会いたくないなあ・・・)
ところが、
保健師をしている友人にいきなり会場で会いました。
もはや開き直る私。

「えらいね、ふみちゃん。受けにきて」
「無料クーポンが来たからね。あと、家族にがんだった人がいて、気になるから」
「えらいわぁ。じゃ、矢印の順路の通り進んでね」

控え室で説明を聞いて、
いよいよスカートに着替え(中は履かない)、子宮がん検診バスの中へ。
婦人科の診察台は初めてです。
ここでも開き直りがかなり、いやものすごく必要でした。

カーテンの向こうであれこれと、一応気配りもしてくれながら診察していた先生が、
「あれ?」
と、カーテンをすこしめくって、私のおなかを手のひらで押す動作をして、
「最近、ウエスト周りが太くなったとかいうことは?」
ああ、あります。なんか急に太ったようで。
生理前はとくに、
ベルトがいらないくらいおなかが出て・・・
「おそらく、子宮筋腫だね。紹介状が行くから、婦人科へ行って再検査してください」
・・・ええっ?!

子宮筋腫ってなんですか?
子宮頸がんや子宮がんとちがう病気?
などと先生や看護師さんに質問をする余裕などなく、次の人の順番が。
混乱と緊張の中、大急ぎでバスから出て着替え。
風の強い日でした。

はじめまして

みなさんは、【子宮筋腫】という病気を知っていますか?

私は知りませんでした。
五か月前、
自分がその病気であるとわかるまでは。


本によると、
日本の30代以上の女性の3割くらいは【子宮筋腫】を持っているとか。
・・・なーんだ。
私が知らなかっただけで、一般的なんだ。

しかし、
良性の病気なので、
必ず治療をしなければならないものではない。
・・・なーんだ。

しかし、
治療となると手術になるかもしれない。

・・・良性なのに手術?!
そんな両極端な!


今まで健康そのもので生きてきたというのに、
ある日突然発見されてしまった【子宮筋腫】。

出会った日からの治療の日々は、
闘病、というほどのドラマはありませんが、
日記として、ノート2冊に書きためておきました。
この体験をネット上で公開することで、
これからの人たちへ役に立つこともあるかな、
と思い、
このブログを始めることにしました。

五か月記。
ひねりのないタイトルですが、
どうぞよろしくお願いします。